【共感できる人いる?】失敗を認めても認めなくても微妙な感じになるという小さい話

ある日、こんな会話があった。

「食洗機のスイッチついてなかったよ」

我が家では、食洗機を使っており、ご飯を食べたあとは食器類を食洗機に入れて洗う。

軽く食器類を水洗いして、食洗機の中に入れ、洗剤を入れ、扉を閉めてスタートボタンを押す。

そんな毎日同じことの繰り返しをしている最中、先程の会話があった。

「食洗機のスイッチついてなかったよ」

僕はたしかに、食洗機のスタートボタンを押したはずだった。

けれど、それは自分の中の記憶であり、本当にスタートボタンを押したかはわからない。

もしかしたら、今日に限っては押し忘れたのかもしれない。それなら、仕方がない。そう仕方がないのだ。

けれど、次に

「まぁ、誰にでも失敗はあるから」

そう言われた瞬間、何か自分の心がざわっとした。

失敗を認めても認めなくても微妙な感じになる

ここで反論するのは簡単だ。

「いや、絶対にスタートボタン押したし」

そう言い返すのは容易いこと。

けれど、その言葉を言うまでに、僕の頭には色々な懸念がぐるぐると回る。

よく「自分の失敗を絶対に認めない」という輩がいると思う。

明らかにその人の失敗なのに「自分じゃない」と言い張る輩だ。

自分は、そんな人間には絶対になりたくないと思っていた。

だからこそ、「食洗機のスイッチついてなかったよ」と言われた時に、自分の中で押した確証はあっても「いやスタートボタン押したし」とすぐに言い返せなかったのである。

失敗を認めることは、工程的には簡単だ。

「あ〜、ごめんごめん」とただ言うだけ。

その簡単なこともすぐにできなかったのは何故だろう。

失敗を認めるのは、ちょっと悔しい

口先だけで失敗を認めることは簡単なことだが、本当の意味で認めることは案外難しい。

「こんなことで自分が失敗するわけないじゃないか」

というプライドみたいなものもあるから尚更だ。

自分が簡単な失敗をしてしまったという事実は悔しいし、何より第三者から指摘された時の悔しさといったら、それはもう。

もし自分が失敗したという自覚があるなら、まだいいだろう。

けれど、自分の中で「失敗した」という自覚がなく、腑に落ちない時はどうだろう。

結局どちらに転んでも・・・

第三者に失敗を指摘された際に取る行動は大きく分けて2つだ。

・失敗を素直に認めて謝る
・失敗を認めないで反論する

失敗を素直に認めて謝った際に起こりうることは、相手から馬鹿にされること、もしくは呆れられたりすることだ。

本当に自分が犯した失敗なら反省して、再発防止に努めるが、もし自分の中で腑に落ちていない失敗だったら・・・?

それは認めるのも癪というものである。

けれど、もしその失敗を認めないで反論したらどうだろうか?

「あ〜、こいつ自分の失敗を絶対認めないやつね、あ〜老○老○」

と相手に思われる可能性があるのだ。

失敗を認めたところで、相手にはある程度のマイナスな印象を持たれ、失敗を認めずに反論しても結局マイナスな印象を持たれる。

これは一種の詰みゲーである。

失敗を指摘されたら、もう詰みなのだ。

だから何だという話

ここまで書いてきてなんだが、正直小さな失敗程度だったら第三者に指摘されても「あ〜ごめんごめん」と例え自分が犯した失敗でなくても失敗を認めて軽く謝ってその場を流すだろう。

けれど、もし大きな失敗で、かつ自分が犯していない失敗の場合はどうだろうか。

果たして反論した方が良いのか、それとも色々な証拠を集めて、これは自分の失敗でないと証明した方がいいのか。

だから何だという話である。

この記事には答えなどない。オチもない。

ただ、ちょっと前から思っていたモヤモヤというものを書いてみたかっただけなのだ。

共感できる人いる?

では、また。