人の目や他人ばかりを気にして、自分をおろそかにしている愚かな僕へ

どうも!
サトセヒかルです。

最近の僕は生きてるのか死んでるのかも分からない状態でした。

自分が自分でいることが嫌で、周りを見てもどこを見ても敵にしか見えなかった。
全部が全部、僕のことを傷つける存在だと思っていた。

でも、自分のことを一番傷つけていたのは自分だったんです。
自分が一番の敵だった。

僕は人の目や他人ばかりを気にして、自分をおろそかにしていました。
その結果、僕は僕を傷つけて殺し続けていた。

もう気にしなくていい。自分は自分でいてもいい。
自分へ言いたいことを今回は思いっきり言います。

もしあなたも人の目や他人を気にしてしまって生きづらいと言うのなら、あなたにも言います。
では、いきます

 

「人を不快にさせるかもしれない。」は気にしなくていい

あなたは人に対して「不快だ。」と思ったことはありますか?

きっとあると思います。
今までに僕もめちゃくちゃあります「こいつムカつくわ。」って思ったこと。

では、逆に「人に不快な思いをさせてしまうかもしれない。」って恐怖や不安に襲われたことはありますか?

僕は今まで「人に不快な思いをさせてしまったらどうしよう。」と、いつも不安になっていました。
自分の言動で、自分の行動で人に不快な思いをさせてしまっているかもしれない。そんな不安感がいつもあった。

けれど、その不安感はどうすることもできない。
「どうしよう。」と思っても、相手が本当に不快に思っているかいないかはよくわからないからどうしようもない。

「人に不快な思いをさせてしまったらどうしよう。」という不安感は僕の言動も行動も制限しました。

言いたいことを言った後に

「あんなことを言ってしまってよかったのだろうか。」

「誰かに嫌われたかもしれない。」

そう後悔することが辛くて、”何も言い出せない・何も行動できない・言ったら嫌われる”
そんな自分が出来上がっていました。

自分の気持ちや想いを閉じ込めるのは、自分を殺しているのと一緒だと僕は思います。
僕はがんばってがんばって自分を殺していた。それはもうズタズタに。

何回も何回も自分を殺した自分は生きてるのか死んでるのかも次第に分からなくなって

「どうでもいいや」

「なんでもいいや」

そう思うようになっていました。そして、”どうでもよくなった”自分はこう気がつきます

 

人の目も他人のことも気にするだけ無駄

「人に不快な思いをさせてしまったらどうしよう。」
これはつまり、僕は人の目を気にしている。ということですよね。

自分が人にどう思われているか気になって気になって仕方がない。
そんな状態。

人の目を気にしている僕は他にも気にしていることがありました。
それが、他人です。

 

他人を羨ましがるのも、他人にイライラするのも、他人を批判したりするのも全部無駄

僕は人の目を気にするのと同じくらいに他人のことも気にしていました。
自分の例で言うと顔が良かったり、自分のしたいと思っていることを叶えている人とかがすごく気になっていた。

 

「あんな顔だったら人生がすごく楽しいんだろうなあ。」

「この人はなんでも欲しいものを手にしているじゃないか。」

 

そんな「あの人が羨ましい。」という気持ちを常に持っていた。そして、自分と”羨ましいあの人”を比べて絶望していた。

 

「自分があの人のようだったら今は全然違う人生だったんだろうな」

「なんで自分はこんななのだろう。」

 

外に出ても、SNSを見ても僕にとって羨ましい人がたくさんいた。
そしてその”羨ましい気持ち”はどんどん僕を苦しめていった。自分の存在価値を否定されるように。

そして、”羨ましい気持ち”はムカつくというイライラする気持ちになり、やがて批判するようになります。

 

「見た目がいい人は人生イージーモードでいいよね。悩みなんて大したことなくて結局贅沢な悩みなんでしょ。」

「あんなにやりたいことを好き勝手やりまくってる人に幸せになって欲しくない。不幸になれ。」

 

こんな風に”羨ましさ”はイライラから批判へと姿を変えました。
けれど、こんなことを言ってても誰も幸せにならないし、自分ももちろん幸せになるわけがない。

このままではどう転んだって幸せにはなれない。
他人を羨ましがる・イライラする・批判する、つまり他人を気にしていたって自分は幸せにはなれないんです。
ってことは、他人を気にしなければいい。僕はそんな結論にたどり着きました。

 

「どうでもいいや」「なんでもいいや」でテンションが上がった

人の目や他人のことを気にするだけ無駄なことに気がついた僕はタイトルの通り

「どうでもいいや」

「なんでもいいや」

と、良い意味で思うようになりました。
するとテンションが上がってきたのです、なぜか。笑

人の目や他人のことばかり気にしていると自分のことがおろそかになってしまいます。
僕は気がつけば自分に目を全然向けていなかった。

自分のことをおろそかにして、人の目や他人ばかりを気にしていた。

こうやって自分に目を向けるようになったからテンションが上がったんですかね。笑

 

自分の考えひとつで世界は変わる

ここまで書いた通り、僕は「人に不快な思いをさせてしまったらどうしよう。」と不安になって、他人ばかりを気にして自分を殺してきました。

でも、思ったんです。

自分が思えば、たぶんそれが自分の世界になる。
自分が笑顔になれば、たぶん周りも笑顔になる(なんかクサいセリフですね。笑)

「人を不快にさせるかもしれない。」って怯えたところで、人が不快になる理由なんて様々です。
たまたま機嫌が悪かったかもしれない。自分勝手な理由かもしれない。自分ではどうしようもないことかもしれない。
他人に嫌われるかもしれないって思ってたら何も話せないし行動もできません。だったら、思いっきり自分を出せばいい、自分のしたいことをすればいい。

むやみやたらに人を不快にすることをしろ。って言うわけではありません。もちろん人を傷つけることも違う。
自分の言いたいこと、したいこと。それを思いっきりやる。ただ、それだけ。

何をしたって好いてくれる人は好いてくれるし、嫌いになる人は嫌いになるんです。
気にしてたって仕方がない。

だから、自分を思いっきり生きて、周りを味方だと思って、自分のことを平気で傷つけてくる人とは関わらないで、自分は自分の味方でいてあげる。
それで良いと思うんです。

 

 

僕は生きていることが苦しかったね。

けれど、それは自分が自分をずっと殺してきたから。

自分は自分でいてもいい。人の目も他人のことも気にしなくていい。

もっと自由に生きていいし、もっと幸せになっていいんだよ。

 

ありがとう!サトセヒかルでした!

んじゃね!