【人生激変】潔癖症の人がガサツ系女子と出会って生きやすくなった話

僕は自他ともに認める潔癖症だ。

ポテトチップスを食べるのはもちろん、柿ピーを食べるのにも、じゃかりこを食べるのにも必ずお箸を使う。

床に落ちたものはなるべく拾いたくないし、もし拾ったとしたらすぐに手を洗わないと気が済まない。

友人が家に来た際にベッドに座られたら激怒するし、お茶でもこぼされるようなものなら家から追い出したくなる。

と、書けばキリがないくらい潔癖のエピソードがたくさんあるのが僕という人間だ。

自分が潔癖症であることをちょっとめんどくさいとは思いながら嫌だと思ったことはないし、これからもずっと潔癖症でいつづけると思っていた。

確かに、もし自分の潔癖症が少しでも緩和されたらもっと生きやすくなるのにな、とは思っていた。けれど、どうしても自分が汚いと思ったものを触れば手を洗いたくなるし、そこは変えられないものだと思っていたのだ。

けれど、ある人との出会いをきっかけに僕の潔癖症は一気に緩和された。

今回はその話を紹介しようと思う。

ガサツ系女子との出会い

ガサツ系女子と書いたら彼女は怒るだろうが、今回はわかりやすくそう呼びたいと思う。

彼女とは、とある仕事の関係で出会った。

出会った当初からよく言えばおおらか、かつ大胆な性格で、ちょっと悪く言えばガサツな人だった。

PCをコンクリートの床に置くことにためらいはないし、ちょっと汚いものを触っても、手をパンパンとするくらいで済ませる。

僕から見たら、その行動はもう考えられないもので、自分とは180度真逆の世界を生きているように見えた。

だが、そんな彼女と仕事上で一緒に過ごす時間が増えていくたびに、今まで僕のことをがんじがらめにしていた潔癖症が少しずつ緩和されていくことになる。

潔癖症の人の意識を変えた食事という行為の一連の流れ

ガサツ系女子の彼女と一緒にお昼ご飯を食べる機会がちょくちょくある。

ある日彼女の提案で、お弁当を買って公園で食事をしようということになった。

正直言って、この時点で僕はちょっと嫌だなぁと思っていたのだ。

その理由は、飲食店などでご飯をすれば、それなりに綺麗なテーブルや椅子に腰掛けて食事をすることができるが、公園などでは砂埃にまみれたベンチや座ればきっと汚れるであろうコンクリートに腰掛けて食事をしなければならないからだ。

最初は、彼女が腰掛けているその横で僕はお弁当を片手に立ちながら食事をしていた。

「絶対に汚れたくない」その一心で。

けれど、ずっと僕だけが立っているのも何だかバツが悪く「ええい」と思い切って彼女の横に座ることにした。

これは自分の中では革命中の革命だ。

コンクリートに腰掛けた瞬間、色々な想いが頭の中をかけめぐったが、次第に諦めるようになった。

「まぁいいか」

これが潔癖症の僕は生きやすくなった最初の一歩だった。

食事を終えたあと、僕と彼女は喫煙所へと向かう。

そう、僕も彼女もどちらも喫煙者なのである。

今までの僕は食事をしたあとは、絶対に石鹸で手を洗わないと気が済まなかった

手を洗うまでスマホはもちろんのこと、何にも触りたくなかったのだ。

けれど、外という環境下では、中々石鹸で手を洗うという行為はできるものではない。

もし自分が手洗い用石鹸を持ち歩いていたなら、それは可能だったであろうが、僕は持ち歩いてはいなかった。

そして食事をした後、手を洗わずに喫煙所へと向かい、彼女は煙草を吸い始める。

僕はそこで一瞬迷った。

食事の後に洗ってないこの手で煙草(アイコス)を触りたくないと思ったのだ。

けれど、食事の後の一服は至高のもの。

僕はまた「ええい」と思い切って、食事の後の洗っていない手でアイコスを触り、煙草を吸った。

最初は「あぁ〜触っちゃった」と思っていたが、これも次第に諦めるようになった。

段々と、自分の中の潔癖症が緩くなっていると思った瞬間だった。

この状態を繰り返すことによって潔癖症がより緩く

仕事の関係でガサツ系女子の彼女とは関わっているので、当然一緒に過ごすことが多くなる。

それはつまり、潔癖症の僕が諦めざるを得ない行動をするという回数が増えていくということだった。

最初は潔癖症の僕にとっては信じられないようなこともあり、「あぁ嫌だなぁ」と思っていたことが、次第に「まぁいいか」へと変わっていく。

これは人生で初めての経験だった。

昔は、お団子を食べたその手で僕の肩を叩いてきたことが心から許せなくて恋人関係を解消した人がいるくらい潔癖症にがんじがらめにされて生きてきたのだ。

そんな僕が次第に、今まで許せなかったことが「まぁいいか」と思うようになっていく。

人生革命中の革命。もはや第二の人生と言っても過言ではない。

そして潔癖症の僕は生きやすくなった

ガサツ系女子の彼女と出会い一緒に過ごしていったおかげで、僕の潔癖症は緩くなった。

今まではテレビのリモコンを触るたび・冷蔵庫を開けてものをとるたびに手を洗っていたが、今ではもうない。

手を洗う回数が減ったおかげで、手が荒れることもなくなり、「手を洗わなきゃいけない」という呪縛のストレスも減っていった。

ガサツな人と関わるたびに「コ○してやろうか」と思っていたのもなくなり、人間関係の幅が広がったようにも思える。

彼女との出会いは本当に僕の人生を変えたのだ。

潔癖症くらいでおおげさな

そう思う人がいるかもしれないが、潔癖症というのは本当に生きる上でやっかいなものなのだ。

何をするにも行動が制限されたり、いらぬストレスがどんどん溜まっていく。

自分の中で「許せないもの」という枷をしながら生きていく、これは想像以上に辛いもの。

けれど、それが次第に「まぁいいか」と思えるようになっていくのは、本当に人生そのものが変わることだった。

おわりに

潔癖症であることは悪いことでも何でもない。

けれど、もし潔癖症であることを悩んでいるようであれば、ちょっとずつ自分が今まで嫌だなと思ったことに挑戦してみて欲しい。

中には挑戦して、「やっぱり無理だ・・・」と思うこともあるだろう。

それはそれでいいと思う。

もし挑戦の中で「まぁいいか」と思えるようなことが見つかったらラッキーだ。ひとつ潔癖症の枷を外すことができるのだから。

今回はガサツ系女子と出会ったおかげで潔癖症の僕が生きやすくなった話をご紹介しました。

すべての潔癖症の人が少しでも生きやすくなりますように。

では、また。