色々な人と話をすると、本当に色々なタイプの人がいるもので。
友達がたくさんいる人、友達が全然いない人、人気者の人、嫌われ者の人。
僕は昔からあまり友達の多いタイプではなかった気がするけど、なんかグループに溶け込むというか、なんとなくそこにいるのが上手いタイプだったので”群れの中”にいることは多かった。
不思議なんだけど、僕はいつも3人組で行動することが多くて、小学生の頃も、中学生の頃も、高校生の頃も、大学生の頃も、今も。
でも、3人組で行動しているといつも思っていることがあった。
「いつも前の2人の背中を追ってばかりだな。」って。
例えばさ、すっごい細かい話なんだけど3人組で歩いて移動する時とか、いつも僕は後ろに1人。前の2人の背中を追っていた。なんか自分だけ疎外されているような気分になって辛かった。
他には「あれ?あの2人は遊んでるけど、自分は誘われてないなー。」ってのがとても寂しかった。
僕が群れたくないのは、いつだって自分が優遇されない側の人間だってことを分かっているから。
— サトセヒかル@場末ブロガー (@satohika_bass) 2017年7月17日
優遇する人の、優遇される人の背中を「ねえ、1人にしないでよ。寂しいよ。」って思いながら追いかけたくないから。
だから自分を優遇してくれるだろう恋人という存在を心から欲する。
優遇されることが良いとか悪いとかじゃなくて、単純に寂しいじゃん!って話。
— サトセヒかル@場末ブロガー (@satohika_bass) 2017年7月17日
だから1人でいた方が寂しい思いをしなくて済むとは思ったものの、やっぱり寂しいんだよなあ!
群れに入った途端、自分が自分の人生の主人公じゃなくなってしまう気がする。
— サトセヒかル@場末ブロガー (@satohika_bass) 2017年7月17日
だから、群れたくない。でも、寂しい。
協調性だとか、社交性だとか何とか言われるけど、いつだって自分は自分の人生の主人公でいたい。
って思うのは悪いことじゃないと思う!ぞ!
群れていても、寂しい
いつも”群れの中”にいても、どこか寂しい感じ。
自分は多分この群れの中にいてもいなくても変わらない。ただ、なんとなく都合が良いから”群れの中”にいるだけ。
いつの間にか自分の人生の主人公が他人になっていて、自分は違う人の人生を生きている。そんな感覚が強くなってきて、僕は1人でいるようになった。
”群れの中”にいても寂しく感じるから、1人になってみて自由はたくさん増えたけど、その分孤独も増えた、寂しいと感じる瞬間も増えた。
けれど、あのままずっと同じ場所にいたら自分がもっと自分じゃなくなっていくような感じがした。
「群れている時、いつも誰かの背中を追ってばかりいた気がするんだ」
必死にしがみついて、でもどうしても追いつけなくて、落ち込んで、自分を責めて。
そんな場所にずっといなきゃいけない理由ってなんだろう?
群れる人が嫌い?
ちょっと前は1人で行動することがなんだか「悪い」「可哀想」みたいな風潮があった気がする。でも今は、1人で自由に行動する人が増えてきて嬉しい気持ちになる。
群れる人が嫌いってわけでもないし、どっちかと言えば群れてる人を良いなーって思ったりもする。けど、最初に書いた通り”優遇する人・優遇される人”がいる群れは嫌い。というか怖いし、寂しい。
1人でも行動できる人が、”優遇する・優遇される群れ”になるわけじゃなく、背中を追うわけでもなく、一緒に横を歩いてくれたら寂しさとかなくなるのかなあ。と思った。
そんな話!
ありがとう!サトセヒかルでした!
んじゃね!