ゲイだと受け入れることができなかったあの頃の僕へ『誰もが幸せを掴める』って証明しよう

Text by サトセヒかル(@satohika_bass[PR]

 

僕の小学生の頃のあだ名は「オカマ」

なぜそんなあだ名がついたのかは、もう覚えていない。

あの頃は同じ部活の女性の先輩に恋をしていた記憶があるし、同性が好きという実感はまだ僕の中にはなかったはずだ。でも、間違いなく言えるのは「オカマ」というあだ名だったこと、”気になる同性の同級生”がいたということ。


僕が「自分はゲイだ」とハッキリと自覚したのが14歳、中学2年生の時。初めて彼氏という存在ができたのもこの頃だ。

ただ、ゲイと自覚はしたものの「自分がゲイである」という事実を受け入れられたわけではない。「なんで自分は男を好きになってしまうんだ」と嘆き、自分の人生を呪い、「普通」であることを装う毎日が始まったのだ。

同性が、男性が好きだと自覚しながら僕は”彼女”を作ろうと奔走した時期もあった。友達づてに女の子を紹介してもらいメールのやりとりをする。友達としての会話はとても楽しかったが、それが好意や恋愛に発展することは一度もなかった。

 

ただただ「普通になりたい。」その一心だった。

 

ゲイと自覚し、ゲイと受け入れることができず、「普通」という抽象的な概念に憧れ、自分という存在と人生の破壊と再構築を繰り返していたあの頃を思い出させてくれる作品がある。

古賀丈さんの『彼岸花の雫』という物語・エッセイだ。

(※以下、ネタバレを含みます。)

 

大学生になるまで、僕は誰にも自分がゲイであると打ち明けることができなかった。

「青春」というキラキラと眩しい舞台に立ちつつ自分を否定し続け、自分と同じ存在を口では蔑み心では傷つき、何度も「なんでこんな人生なんだ」と神様を恨んだ。この『彼岸花の雫』の主人公もゲイであり、その人生の辛さから命を絶つことを考えていた。

”自分は普通じゃない”という生きづらさ

『彼岸花の雫』の主人公も、僕も、そしてもしかしたらあなたも「自分は普通じゃない」と気がついている。

世の中の人たちの語りぶりもテレビという大衆向けのメディアも親も「お前は普通じゃない」と悪気のない刃をいつも振りかざし僕たちを傷つける。多数派にとっての”当たり前”は僕たちにとって”当たり前”なんかではない。けれど、世の中は多数派の方が生きやすいようにデザインされている(今は昔よりかなり生きやすくなったと思うが)

僕自身、中学・高校時代はかなり息苦しい毎日だった。「ゲイって気持ち悪いよなw」とネタにする友達に「わかるわかる、ちょーキモい。」そう自ら言葉にして同調せざるを得なく、蔑む言葉を口にするたび自分という存在を消したくなる日々。

 

何気ない一言が胸に重く突き刺さる『彼岸花の雫』の主人公も同じような経験をしていた。

 

毎日学校に通って色々な人と関わっていると当然好意を抱くことだってある、同性の同級生に。けれど、それは相手もゲイでない限り一瞬にして報われない恋となる。どんなに人を好きになろうとも決して結ばれることのない物語に一体どんなハッピーエンドがあるのだろうか。

恋は叶わない、友達とも心から向き合えない、「幸せ」というものが縁遠く感じる。そこで『彼岸花の雫』のテーマともなっている言葉を紹介しよう。

『誰もが幸せを掴める』

ネタバレになってしまうが、『彼岸花の雫』の物語パートでもエッセイパートでもこの言葉で締めくくられている。「誰もが幸せを掴める」著者 古賀丈さんの信念でもあるのだろう。

僕は今まで「自分はどうせ幸せになれない。」そう諦めてしまったことが何度もある。ゲイであることで人間関係をうまく築くことができず、腹を割って話すことができる人もおらず、人を好きになっても報われない恋ばかりをして「幸せを掴める」という考えはいつの間にか自分の頭の中から消え去っていたようだ。

 

けれど、歳を重ねるにつれ僕も色々な経験をした。

 

同じゲイという友達に出会い、二丁目やゲイバーという居場所を見つけ、長くは続かなかったが何人かともお付き合いをして、「幸せかもしれない。」という瞬間が増えていった。だからこそ今、『彼岸花の雫』を読んで「誰もが幸せを掴める」という言葉に共感ができるのだろう。

生きていて辛いことはたくさんある。でも、それはゲイやマイノリティだけではない。僕たちが「普通」だと思っている人たちにだって辛いことはたくさんあるし死にたくなることだってたくさんあるだろう。

 

結局、人間という分類で僕たちは同じなのだ。

 

たとえ、今この時が辛いものにしか思えなくとも「幸せかもしれない。」という瞬間は誰にでも訪れる。誰もが幸せを掴めるのだ。

世の中は思っているよりも優しいし生きやすい

辛い出来事や嫌な思いをすると「なんてひどい世の中だ。」そう思ってしまうことがある。

 

けれど、本当に”ひどい世の中”なのだろうか?

 

確かに、中学・高校と息苦しい思いをしたあの頃はひどい世の中に思えた、世界中の人が敵に思えた。だがしかし、人の暖かさに触れることがあったのもまた事実。

『彼岸花の雫』の主人公も僕も、カミングアウトをしたら意外と人は自分のことを理解してくれて受け入れてくれるという経験をした。

 

一度カミングアウトをしてみると、世の中は思っているよりも優しいし生きやすいことに気がつく(もちろん誰にするかは重要だ)。

まだまだ辛いことも嫌なこともたくさんあるけれど、味方になってくれる人が少なからずいるという事実は僕たちの心を救った。今まで真っ暗闇の道をひたすら自分一人で歩いてきたのだから。

「周りと違うから幸せになれない。」なんてことはない。

「誰もが幸せを掴めるんだって、証明してくるよ」そう言った『彼岸花の雫』の主人公のように僕もまた、前を向いて生きていく。

『彼岸花の雫』作品紹介

同性愛者である現実に悩む高校生の僕の前に「彼岸花の妖精」が現れ。僕と共同生活をスタートする。物語とエッセイで、「誰もが幸せを掴める」確かな事実を描き出す。

 


Text by サトセヒかル(@satohika_bass
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