(最終更新日:2017年3月16日)
ども!サトセヒかルです!
僕は結構プライドの高い人間です。
「自分が恥ずかしいと思うことはしたくないし、恥ずかしい思いは絶対にしたくない」
なんて、そんな風に考えることが多かったです。
あなたはプライドが高い人間ですか?
「そんなことしたくないっ!恥ずかしいっ!」
そう思ったことはありませんか?
そしてせっかくのチャンスを逃してしまったことはありませんか?
僕も恥ずかしいから。という理由で、自分のプライドが邪魔して色々なチャンスを逃してしまったことがあります。
それは恋愛でも人間関係でも、仕事でも。
でも僕がどん底に落ちた時、「とある1つの思考法」に気がつきました。
この思考法を身につけることで僕はとても生きるのが楽になりました。
今回は、僕がどん底に落ちた時に気がついた思考法のお話をしていきます。
あなたはチャンスをどんどん掴んでいく人生を選びますか?
それとも、みすみすチャンスを逃していく人生を選びますか?
それではまいりましょう!
目次
なんでチャンスを逃すのか、それは恥ずかしいから?
僕が人見知りなのはプライドのせいだった
僕は自分が人見知りだと思っていました。
初対面の人の前、あんまり知らない人の前だと中々話すことができません。
その理由を僕は人見知りだからだと思ってた。
けど、よくよく考えてみると実はそうじゃありませんでした。
僕は初めての人に「恥ずかしいな、こいつ。」という印象を持たれるのが嫌だったんです。
「この人は話が面白くないな」とか。
「この人は興味ないから話したくないな」とか。
自分が受け入れてもらえないようなそんな気がして、初めての人に自分から話かけるのが嫌でした。
その時の自分の気持ちは、人に受け入れられていない自分が恥ずかしいから嫌だったんです。
つまり人見知りな理由の裏側には、自分は恥ずかしい思いをしたくない。というプライドがあったんです。
そのプライドは恋愛や告白のチャンスを逃していった
僕はゲイなのですが、よくゲイバーに行きます。
ゲイバーに行くのは誰かと話したい、お酒が飲みたいといった理由もありますが、98%は出会いを求めて。という理由です。
毎回ゲイバーにいる人は全員が同じではありません。
もちろん中には知っている人もいますし、知らない人だっている。
その中にはタイプの人だっているわけです。
こんなことがありました
たまに行くゲイバーで、とてもタイプな人がいました。
その人はお店の常連らしく、よく来るようです。
僕はその人のことがとてもタイプだったので、仲良くなりたいと思います。
けれど、「話しかけて嫌な顔をされたらどうしよう、全然相手にしてもらえなかったらどうしよう」
そんな気持ちがどんどん湧いてきて、そのタイプの人には話しかけることが中々できません。
僕は、自分が振られる・断られると傷つく、自分がみじめに思える、そんな恥ずかしい思いをしたくなかったんです。
思いっきり自分のプライドが邪魔をしています。
結局そのタイプの人とは毎週ゲイバーという同じ空間にいたのですが、話しかけたのは最初に会った時から4週間も経った後でした。
しかも、結局その人は僕のことはタイプじゃなかったみたいで、連絡も全然続かなかったし、人づたいに「僕のことはタイプじゃない。」と言われてしまいました。
最初に会った時に僕が話しかけていたら、もっと早く決着がついていたかもしれません。
自分は恥ずかしい思いをしたくない、そんな自分のプライドが邪魔をしていなければ話しかけて玉砕して、次の恋にさっさと行けたことでしょう。
うつっぽくなって考え方が変わり始める
僕は心が辛くなり心療内科に行っていたことがあります。
・【体験談】僕はうつ病なのか?心療内科/精神科に初めて行ってきた話
そこで今後を変える重大な「とあること」に気がつくのです。
自分の本心を知る過程で
僕はうつっぽくなったりを繰り返していました。
時には「死にたい」と思うこともあったり。
その本心は「自分は人と関わりたい、繋がりたい。」人との繋がりを求めていました、寂しかった。
しかし、現実はそう簡単には人と繋がることはできません。そして間違いを繰り返してきました。
僕は1人じゃ生きていく事ができない
— サトセヒかル (@satohika_bass) 2017年1月15日
自分が1番喜びを感じるのは人と関われた時、繋がれた時だってことに気がついた
その繋がりが刹那的なものじゃなくて、ずっとずっと続いていくものだと良いなあ。って
まだなんとか希望が持てそうだ!
生きよう
人と関わったり繋がったりすることは僕にとってすごく難しいことに感じる
— サトセヒかル (@satohika_bass) 2017年1月15日
昔セックスで簡単に人との繋がりみたいなものを感じれることを知ってしまった僕は、その難しいことから逃げるように簡単にできるセックスという手段で、ずっと人との繋がりみたいなものを感じようとしていた
だから、色々とおかしくなってしまったんだ
— サトセヒかル (@satohika_bass) 2017年1月15日
ボロボロになって病気にもいっぱいなったりして死にたくなったりもしたけど、5年目でようやく気がつけて良かった
/愛のないセックスを4年以上繰り返した僕が語る、その末路と手に入れたもの https://t.co/zQ8tjvfAKJ
このツイートのように僕は自分の本心を知ります。
そして、その過程で「とあること」に気がついたのです。
死にたい。と思うことには希望の可能性がある
僕はうつっぽい時を繰り返していましたが、うつ病というほどではなかったので「死にたい」と思うことは多々ありましたが、実際にはこのように生きています。
そして、「死にたい」と何度も思ううちにこんな思考が生まれてきます。
どうせ死んじゃうなら、なんでも出来るんじゃないか?
- どうせ死んじゃうなら、恥ずかしいけど思い切って気になる人に話しかけることが出来る
- どうせ死んじゃうなら、恥ずかしいけど自分のやりたいことを思いっきりやることが出来る
- どうせ死んじゃうなら、恥ずかしいけど好きな人に好きだと告白することが出来る
そうなんです、どうせ死んじゃうならって思うと今まで「自分が恥ずかしいから。」という理由で、プライドが邪魔していて出来なかったことが無くなったのです。
だって、どうせ死んじゃうなら恥ずかしいも何もありません。
人はいつかどうせ死んじゃいます。
どうせ死んじゃうんだから、恥ずかしいなんて思ってないで自分のやりたいことを思いっきりやればいいじゃん。と気がついたのです。
僕は何度も「死にたい」と思うことによって、「どうせ死んじゃうんだから何でも出来るじゃん」と希望の可能性を発見したのです!
僕たちは今日死ぬかもしれないし、また明日生きてる可能性は100%じゃない
朝起きて、会社に行って、仕事して、帰ってきて、ご飯食べて、寝て、また朝起きることができる可能性は100%じゃないんです。
もしかしたら今日この後、死ぬかもしれない。
今日出来なくて後悔したことを、また明日出来る可能性は100%じゃないんです。
「どうせ死んじゃう」んだから、みすみすチャンスを逃してしまう人生はもうやめませんか?
ありがとう!
んじゃね!
ネガティブも悪くないよ